多様性という孤独

『多様性』というフレーズを良く耳にする様になった
『いろんな人がいるんだよ』という事なんだろう
いろんな人がいて、それぞれを認める様にしようという事なんだろう
昔からいろんな人が居た
『いろんな』とほ一般に言う『変な』と同義
自分も世間的に見たら『変な』人の部類

多様性を認めようという風潮だけど
例えば同じコミュニティ(学校やら職場やら)にちょっと自分と違う人がいて
『あれっ?この人変だな?』と認識したとして
昔は(なにが自分と違うんだろか?)、(どう接したら良いのだろうか?)
とか、その人とのコミュニケーションの取り方を自分なりに考えて接したものだけど

今は
『多様性』という言葉で片付けられ
(あぁ、あの人はそういう人)でフィニッシュ
あの人とのコミュニケーションまで発展しないし、してはいけない領域みたいになりかけている

そして『あの人』はどんどん孤独になっていく

似たような事は『SDGs』や『エシカル』にも

ただ用語だけが一人歩きしている気がします

『多様性』で片付けられた『自分』
考えたことありますか?

rakuencoffee

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