Y's BARでバーボン
京浜急行の横須賀中央駅を時計台方面へ出てから左へ150m程のところに『Y's』というBARがある
今から32年前
当時20歳だった私は遅くまで友人とビリヤードをした後、そいつに連れられ初めてその店に入った
カウンターの奥に美しい女性と若いバーテンさんがいるお洒落なBAR
美しい女性の名は確か『ユミコ』いや『ユキコ』だったかもしれない
その頭文字でY's BARなのだ
Y's で私達が飲むのはバーボン
フォアローゼズだったり、ハーパーだったり、時にはターキーだったり
つまみはキスチョコ
煙草はラッキーストライク
昭和から平成への過渡期で時代はバブル全盛期
その煌びやかなネオンとは一線を画した場所が私達のお気に入りのBAR
Y's にはヒロキさんという同じ歳くらいのバーテンさんがいた
彼も同じように複雑な家庭環境に生まれ、どことなく影があり口数は少ないけれど彼との会話はいつも心地良いものだった
ある日店が終わった後に彼の車でドライブに行こうということになった
『どこに行きたい?』と聞かれて、私は『湘南経由で横浜元町』と即答したと思う
あの頃ハイソカーと呼ばれていたTOYOTAの白いクレスタは憧れの車
パーキングブレーキが足で踏むタイプで、解除する時にダッシュボードの下のハンドルを左手で手荒く引いて『バンッ』とペダルが戻るギミックがなんともカッコよかった
R16から横横(横浜横須賀道路)、逗葉新道で鎌倉へ
深夜のR134は昼間の渋滞が嘘のように交通量は少ない
光輝く江ノ島でカットバックし、北上して横浜へ向かう
目的地である元町のBARで私がバーボンしか頼まないのを呆れて、彼はカンパリグレープフルーツというカクテルを教えてくれた
カンパリの甘さとグレープフルーツの程よい酸味が絶妙なバランスの少しピンク色をしたそのカクテルは、それから私の定番カクテルの座に鎮座することになる
Y's でバーボンは22歳で大学を卒業するまで続いた
25歳で大学院に戻った2年間、何故かあれほど大好きだったY's のドアを開けることは一度も無かった
何故だろう?
ママが覚えていてくれなかったら
ヒロキさんがもう居なかったら
いろんな不安があったのかもしれない
大好きな場所から遠ざかる理由は自分でも理解不能だけど
あの頃のままじゃなかったら嫌だという自分勝手な不安感なのだろう
Y's でバーボン
大人の階段を駆け上がっていた頃
嗜みというものを教えてもらったBAR
買ったばかりのラッキーストライクが半分くらいになったら店を出る
そんな感じ
現在のY's
上地雄輔さんが紹介したらしく、ちょっと有名になってるらしい
白い壁と白いドアは昔のまま
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