危機の時に見えてくるもの
新型コロナ感染拡大予防対策(長い表現だ・・・)のために店を閉めて、そろそろ1か月
さぞかし暇で不安な日々を過ごしているのだろうと思われるだろうけど
それが意外と忙しく、平日などは店を開けている時よりも忙しくさせてもらっている
ひたすら豆を焼き、ひたすら袋詰めし、ひたすらお礼のお手紙を書き、ひたすら梱包して、ひたすら発送する毎日
コーヒー屋として10年、今が一番コーヒー屋らしい毎日を送っているのではないだろうか?
その理由はWEBSTOREから頂く豆のご注文
本当に感謝の言葉しかない
このような状況で果たして今後どうやって暮らしていけばよいかを模索していた1か月前
国や行政の支援金などは一切あてにせず、今まで決してしないと誓っていた借金をした
とりあえず半年は無収入で生きていける安心を手に入れて、そして店を閉めた(すべて借金だけど)
最初に動いてくれたのは防衛大学校時代の同期
卒業以来30年会ってない男たちからの注文には心打たれるものがあった・・・
それからイベントで訪れる場所のお客様たち
また会いたい、また来てくださいというメッセージも添えられ・・・
そうして今まで開店休業状態だったWEBSTOREが一気に動き出した
危機のときこそ見えてくることがある
危機の時に手を差し伸べてくれる人とは
楽園珈琲を必要としてくれる人、楽園珈琲が無くなったら困る人、想像力が豊かな気持ちの優しい人
そんな人たちだった
想像力に乏しい人は、コロナが収まってから足繁く店に通って応援しようと思うかもしれない
それでは遅いのだ
コロナが収まるまでその店が存続する保証はどこにもない
熊本地震の時も同じことを思ったけど、今回のほうがより強く(危機感も比べ物にならないくらい大きい)感じる
例えば
普段店を開けているときに来ていただくお客様
楽園珈琲が好きで、コーヒーが好きで、うちのコーヒーを飲みたくて、そんな理由でご来店いただく方はほんの一握り(いるだろうか・・・)
ほとんどは知り合いの口コミやSNS経由、観光の通りすがり、友人とのおしゃべりの場所、そんな理由だと思うし、もちろんそうして利用していただくことは店側としても嬉しい
ただ、やはりそういったお客様は
楽園珈琲が無ければ別の店を探すわけで、楽園珈琲が無いなら無いで困ることも無い
ということは危機の時にわざわざ手を差し伸べる必要もないわけで
そう考えると、お洒落な建物外観や、素敵な店内装飾やカトラリー、インスタ映えするスイーツやラテアートなど、危機の時には空虚で何の役にも立たないということが良く分かる
もっと言えば、店という存在すらも必要なものかどうか疑問だ
その証拠に一度も店に来たことも店を見たこともない人がこうして豆を買ってくれる
そう
楽園珈琲というのは店やワーゲンバスのことではなく、私達が作るコーヒーのことなんだ
そんな当たり前のことを
この危機が教えてくれた
このコーヒー屋らしい日々も長くは続かないだろう
みんな日常がある
飽きてくるし気も緩む
コーヒー豆の注文など優先順位はずっと低いはずで
いよいよこれからが正念場だ
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