親父って
自分の場合
とにかくアンチファーザーで
毎日ネクタイ締めて会社に行く大人には絶対ならないと心に決めていた
複雑な家庭環境が影響していたこともある
親も『お前の世話にはならない』とハッキリ言っていたので、そういうものだと思っていた
とにかく親の金でこれ以上面倒見てもらうのはまっぴらな18歳
時は流れ
35歳で、安定した仕事を辞めて故郷に帰った
親は『みっともないから家の近くには来るな』という
男が仕事を辞めてノコノコ故郷に帰ってくるのはみっともない事らしい
妹の結婚式にも出席させてもらえなかった(親戚への説明が面倒だと)
当時は親に迷惑かけないようにと、全ての意見に従い
地元の友人たちにも全く連絡は取らず、ひっそりと隠れるように生活していた
それが親孝行だと信じて
その生活が8年続き、勤めていた会社がリーマンショックとJAL倒産の煽りで倒産して
他にもたくさんの不運が重なり、一文なしに
そして地元を離れた
その時親父は、『お前も終わりか』とハッキリ口に出して言った
それから1年も経たず、天草エアラインに採用されて天草へ
3年後辞めて、見知らぬ土地の天草でコーヒー屋として生きていく事になる
コーヒーを飲まない親父は、特にコーヒーを買ってくれる事もなく
ただ心配ばかり
心配するのにお金はかからない
そして今
身体は健康なのに自分では何もせず、ヘルパーさんや妹に頼りきり
『お前の世話にはならない』と言った事すら記憶には無く
妹の結婚式に出させなかった記憶もなく
息子がコーヒー屋やってる事すら、時には忘れてる
親父の通っていたスナックで、『お父さんはこればかり歌ってたのよ。自慢の息子だと』
と『加藤隼戦闘機隊』のカラオケを指してママが言った
先日の親戚との席で
『息子には失望した』と堂々と言った
いつまでも、防衛大を卒業して自衛隊の幹部になり総理大臣と行動を共にしていた息子しか見えてない
今、この世で必死に生きている息子を正面から見ていない
親父にはなんの恨みも無い
そういう人なのだと思うだけ
尊敬する点もあるし、真似できない点も多い
ただ母親には感謝しかない
9年しか一緒に暮らしてないけど
いつも助けてくれた母親
この頃、父親を見ていると、自分もこの血を引いているのかと不安になる
あなたみたいにはならないと心に決めて生きてきました
今もその気持ちは変わりません
時に気を緩めると
あなたへ近づいている自分に気がつくので
気合を入れて方向変換しています
もう少し、あなたの生き様を見ていたいので
長生きしてください
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