複雑な思い
9歳で突然母を失い
10歳で突然母ができて
18歳で絶対にこの家を出て
それ以降は親の世話にはならないと心に決めて暮らしていた高校時代
気持ち的には
『俺も何もしないから、何もしてくれなくて良い』
という『GIVE NO TAKE NO』の気持ち
それでも母はいつも助けてくれた
母に対しては感謝の気持ちしか無い
父はどうだ?
同じ男として、言いたい事は山ほどある
面と向かって言いたい事が山ほどあった
が、もはや口にはできない
あなたは俺や妹に対してどういう気持ちなんですか?
あなたがあの時もっと主体性を持って
母を連れ戻しに行っていれば
母は死なずに済んだかもしれない
もしタイムマシンがあって
あの夜に戻れたら
俺は障子を開けてあなたにそう言ってやりたい
例えば
母親に対して
『くそババア』とか
『なんで起こしてくれなかったの!』とか
平気で言えるような家庭
平気で言う子供
そんな家庭に憧れていた
10歳の頃、少年野球のチームに入っていて
県大会のためチーム皆で汽車に乗って長崎市まで行く日があった
数日前に母に、『日曜日は県大会で朝何時に駅に集合だ』と言う話はしていた
その日、朝ご飯を待っていたけど母は一向に朝ご飯の支度をしてくれない
当時、新しく母となったその女性に
『お母さん、ご飯は?遅れるから!』
と、
親子なら当たり前のそのひと言が言えない
何も言えず待って待って、もう間に合わない時間になって
とても悲しい気持ちになり
母に向かって
『鬼!』
と言って泣いて自転車で駅に向かった
当然集合時間には間に合わず
次の汽車に1人乗って、会場の球場を探して1人で長崎市を歩いた
試合に間に合って出れたかは覚えてない
夕方遅く家に帰ると母は泣いていた
『鬼なんか一度も言われた事ない!』
と父と向かい合い黙って晩御飯を食べている俺に向かって言った
その時父が母にひと言
『あんたが悪い』
と言った
人生で一度だけ
父に救われた瞬間だった
今でもその日のそのシーンははっきり覚えている
親は選べない
子も選べない
運命のひと言で全ては片付けられる
平凡な家庭に生まれて
平凡に育ち
平凡に生きてきていたら
今自分はどうなっていたのか
なんて考えても意味ないので一切考えることは無い
その昔
『あんた達(子供)の世話にはならない』と
言い切った父
今は妹が本当に身を削って世話をしてくれている
あの言葉は覚えてないんだろう
親を見て
人間の生き様ってこういうものかと
複雑なきもちになる
答えはない
それでも親は親
大切な人
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